満島ひかりからトットちゃん



自分は2002年日韓ワールドカップが終わった後、ちょうど賃貸の契約が満期を迎えるということで引越しをすることにしました。それまで漫画やCDやフィギュアやパソコンや付随するパーツやPDA等色々買った物が部屋を埋め尽くしていました。引っ越すということで今では当たり前に使われている言葉「断捨離」を決行することにしました。その際に当時ブラウン管で30型ぐらいのテレビがありましたがこの断捨離に乗っかり捨ててしまい、その後テレビはなく、現在に至ります。

さて、そんなテレビの無い生活をしていますが、今や音楽であればradikoでチェックしたりお気に入りがあればitunesで瞬時にダウンロードでき、映像であればyoutubeやAmazonプライム等映像配信サービスでいつでも見られるそんな時代なのでテレビがなくても全く不便がない生活をしています。

そんな中、満島ひかりさんと出会うのはこの前リリースされたMONDO GROSSOの14年ぶり!のアルバムからの1曲「ラビリンス」での気だるく舌足らずだけど艶のある色っぽい歌声でした(後このアルバムの別の曲で歌ってる下重かおりさんもちょーいい!職業主婦なのに!!)

さらにラビリンスをPVを見たらこれまためちゃくちゃいい!失礼を承知で書きますが、決してとびきりの美人ではないし、ショートカットなのもありますが女性的というよりも中性的で一瞬、男子高生?とは言いすぎですが、ぱっと見ではふーんって感じなんですが、それがあの艶やかな声としなやかな動きのある映像とが組み合わさるとなんとも言えずぐっと来ます!個人的ランキング圏外から一気にランクインですよ!

そんなランクインの満島ひかりさんなので当然ググりましたよ。まずは画像や映像を見ながらほほー、これはこれは・・と言いながら。

そんな中、ラジオ等の書き起こしで有名なみやーんさんの以下ページを見つけてあの菊地成孔さんがべた褒めしてる。

菊地成孔 MONDO GROSSO『ラビリンス』満島ひかりMVの本気度を語る



そこには「トットてれび」での満島ひかりはあんなもんじゃないとある。そんなにいいなら見てやろうってことでトットてれびを見てみる。

・・こりゃ本当にすげー。

満島ひかりはイタコか。となりに本物の黒柳徹子がいるからドッペルゲンガーか。脚本も演出も出演者も最高なのはもちろんですが、なにより満島ひかりの黒柳徹子より黒柳徹子感がすさまじい。さらにその相乗効果なのか森繁久彌も向田邦子も渥美清も全員の感情移入度も半端ない。特に寅さんこと渥美清を演じる中村獅童との回の留守番電話の「お嬢ちゃん」で号泣。久々に心持ってかれました。トットてれび見てない方はお勧めです。

そんなこんなで今後も個人的ランキングに入ってきた満島ひかりさんを定期的にチェックしていきたいと思います。


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【ネタバレ】ローガン見た




最高! 以上!!

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【ネタバレ】BLAME! を見ました



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ミュシャ展@新国立美術館行って魂が震えた!

ツイッターをぼーっと眺めていたら、ミュシャが六本木にくる!ってなのが流れてきました。しかも今回スラブ叙事詩が展示されるってなことで、こりゃ姉さん事件ですよ!

自分がミュシャ(チェコでは「ムハ」が正しいらしいけどフランス語のミュシャでいく)とのファーストインプレッションは忘れもしない中学生の頃。当時ジャンプの別冊としてスーパージャンプが発売され、そのなかに「ゼロ」という漫画がありました。

ゼロは神の手と呼ばれ、贋作でありながら本物と見分けがつかないものを作成する人物として描かれてます。その中でミュシャのメディアで使用されたブレスレットが題材として登場していました。

今でこそミュシャはメジャーな画家ですが、当時はそこまでは世間に認知されていなかったと思います。日本で認知されているミュシャの画風はポップでありながらどこか懐かしさを感じるいわゆるアールヌーボー様式で描かれ、ミュシャの代名詞とも言える、サラベルナール主演のジスモンダのポスターから始まり、パリ博覧会のポスターやタバコや自転車のポスターまで、日本で言うと横尾忠則さんっぽい立ち位置?とにかく当時パリではポスターは貼ったそばから盗まれるぐらい人気だったそうです。

ちなみに家にあるミュシャは20年ぐらい前に秋葉原の駅前のあやしい画廊で当時付き合っていた彼女を2時間待たせた挙句、50万のローンを組まされて購入したこれです(今では気に入ってるので問題ないですが、このうさんくさい画廊のものはヤフオクで5万ぐらいで買えるよ!)


そんなミュシャが祖国チェコを想い、描いたのがスラブ叙事詩です。こちらは20点ほどあり、どれも大きく最大で6x8mほどもあります。そんなスラブ叙事詩ですが、つい最近までチェコの古城でひっそりと展示されていたのですが、2012年にプラハの国立美術館で展示され、さらに国外でスラブ叙事詩が展示されるのが日本が初!そりゃ見るでしょ!ってことで六本木にある新国立美術館へ。

余談ですが、大江戸線の六本木駅から新国立美術館の道中にある「ベルオーブ」はベルギービールと料理がめちゃうまくておすすめです。

新国立美術館に到着すると、ミュシャ展のとなりでは草間 彌生展もやっていて、こっちもみたい!とも思いましたが、ぐっとこらえてミュシャ展へ。

チケットを係員に渡し、説明用のイヤフォンを購入し展示室に入ったとたん・・・


いきなり目の前に拡がったスラブ叙事詩の圧倒的な存在感に歩みを止め、ただその場に立ち尽くすしかありませんでした。


この圧倒される感覚はMoMA展で見たピカソのゲルニカ以来。ただ、ミュシャのそれはゲルニカとは違い、非常に優しい感じも併せ持ってて、この感覚はオランジェリーで見たモネの睡蓮を見た感覚に近いです。このゲルニカの圧倒力と睡蓮の包容力が同時に眼前に広がるこの場所は至福のひと時。自分がビルゲイツになったら、この部屋を寝室にしたいと思わせる場所でした(例えが相変わらずよく分からん)

スラブ叙事詩は作品が一つ一つが大きくさらに題材としてスラブ民族の血なまぐさい歴史とスラブの伝承や神話のお話がベースとなっており、ミュシャのタッチと相まって残酷なことを書いていながらどこか、ファンタジーな感じがしてぐいぐい絵に引き込まれます。

また一つ一つの絵が大きく人物がほぼ等身大で描かれており、さらに、絵の中で誰かしらはこちらを見ている人がいます。その中で戦争で赤ちゃんを失った母親らしき人が死んだ赤子を抱いてこちらを睨み付けている絵があるのですが、その母親をみていると、文字通り目が離せなくなり、しばし立ち尽くしていました。

しかも今回の展覧会はなんと、一部写真撮影が許可されていています(ふとっぱら!)いやーしかしこの場所から離れたくない!じっくり見るでなく、展示室の椅子に座りなんとなく視界に入れているだけで幸せな気分になります。まさしくオランジェリーで睡蓮の間でずっと座っていた感覚のそれと一緒。幸せな時間でしたが、後ろ髪を引かれつつ展示室を後にしました。

みなさんも是非見て頂き、ポップなミュシャとはまた違った荘厳なミュシャを体験してみてください。


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スゴ本オフという黄金体験

突然ですが、私は社会人になるまでいわゆる「読書」というものが大嫌いでした。
ここでいう「読書」とは書物に占める割合がほぼ活字のみの書物で、かつ情報を
得るのみの物以外(試験、資格取得のため)の本を読む事と定義します。

小さい頃はもっぱら漫画とアニメばっかり。活字のみの本で読んだ物と言えば、
教科書と図書室にあったやさしめの伝記ぐらい(あの伝記シリーズはかなり好き。
あの伝記の影響で「栄光なき天才たち」めっちゃはまった)なのでとにかく
活字=漫画という幼少期を過ごしていました。

あと、家のしきたりというか恒例行事として小学校低学年ぐらいは月に1回ぐらい、
家族で銀座のマリオンで映画を見て、ちょっとこじゃれたレストラン(スエヒロ
とかツバメグリル)でハンバーグやステーキを食べるという行事の影響で映画も
好きになり、映画は小学校の3年ぐらいには一人で春日部から東武野田線に乗り
大宮のハタボウルに定期的に通ったりしていました。

中学に入ると部活や友達と遊ぶので、ゲーム、漫画、映画は続いていたのですが、
「読書」からは、高校卒業するまでさらに遠ざかっていきました。

そんな私が「読書」と出会うきっかけとなったのは、映画です。いわゆる映画に
はシナリオがあり、それが原作という形で書籍として販売されていると知ったの
がこの頃(遅すぎw)映画として大好きな「パーフェクトワールド」にも原作が
有ることを知り、ブックオフで興味本位で購入し、読んでみたら・・ 映画より
も何倍も感動していました。

もちろん映画でもケビンコスナー扮する殺人犯ブッチと誘拐されたフィリップの
やるせない友情やイーストウッドの過去との後悔等涙無しでは見られない映画で
したが、本を読んだ感動といったら、掛け値無しに何倍も上でした。

私はこの「読書」に出会うまでは、映画を超えるわけねえだろw映像よりもイン
パクト残るなんてあるわけねえwwって本当に思っていましたが、いざ「読書」
と出会ってしまうと、映像だけでその情感や感情埋めれるわけねえだろwってな
りました(アホです)それぐらいすごい体験でした。

そこからはおもしろそうな映画があると見たあとに必ず原作を読む事に。さらに
こんなに「読書」が面白いなら世間でおもしろいと言われている本も読んでみよ
うとかたっぱしから「読書」をしていきました。

それからは年間100冊弱ぐらい「読書」を重ねインターネットという時代にもの
り(橋本大也さんのページで紹介されたものはかなり参考になりました)ネット
で面白そうと評判を聞けばアマゾンでポチる事を繰り返していました。

そんなとき「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」に出会
います。dain さんのおすすめする本は私が今まで読んできた本とはまったく
異なり、かつ dain さんのちょっと挑発するような blog の書きっぷりに乗せ
られ紹介されるものを貪り読みました。

そんなおり、「スゴ本オフ」の告知がされるのです。私は こんな「読書」の神
様みたいな人と出会えるなんてすげーオフ会だなあと告知をみていたのですが、
特に参加する気も度胸も無く、時をすごしておりましたが、第1回目の楽しそう
な状況をblog で拝見し、第2回目の告知を見た瞬間、酔った勢いもあり速攻参
加表明をしていました。

ただ、私は上記で書いたとおり「読書」については質はもちろん、量ですらこ
ちらに参加している方々とはレイヤーが違う(人間界と畜生界ぐらい違う)の
で内心ビクビクしていました。

そんな畜生界から当日、オフ会の場に行くと、これは桃源郷かと思うほど楽し
い場所、楽しいなんて言葉では言い表せないぐらい幸福感に包まれる場所、
皆様の豊富な「読書」話をいつまでも聞いていたい・・そんなすばらしい時間
をすごせる場所でした。

その後も定期的に参加させて頂いていますが、まさしく私にとって黄金体験
(ゴールドエクスペリエンス)であり、大げさでもなんでもなく、私の人生に
「読書」という架け橋でつながる楽園となりました。

最後になりますが、この場を借りて dain さん、企画運営されているやすゆき
さんをはじめ、皆さまにお礼申し上げます。


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【ネタバレ】Rogue one – STAR WARS



実はこの映画の存在を知ったのが、先週。内容もエピソード4 の前日譚ということしか
知らずに勢いで見てきました。

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蓋然性-GAIZENSEI-

difficult

この
枝野さんの記事を読んでいる時「蓋然性」という聞きなれない単語が目に入ってきました。グーグル先生に聞いてみると「その事柄が実際に起こるか否か、真であるか否かの、確実性の度合。また、蓋然的であること。」という意味らしいです。

それって可能性とどう違うの?と思い、もうちょっと調べてみるとこのページに非常に分かりやすい説明がありました。

このページを読むと、可能性とは 1から100 の事、不可能性とは 0 の事。言葉として使うとき本来なら可能性はある・ないの2択らしいです。高い・低いで使う場合は蓋然性を使うと。ちなみに蓋然性の対義語は必然性(必ず起こるという意味)

ただ何となく言ってることは理解できるのですが、可能性という言葉を使っても決して間違っているとは言えないような気がするし、金田一先生も言ってましたが言葉の意味は時代と共に変化するので、現代では可能性という言葉を使ってもいいのかなとも個人的には思います。

一方で言葉の統一や簡略化に伴い、難しい漢字や現代の常用漢字から外れるもの、蓋然性はちょっと種類が違うかもしれないけど、いずれ言葉としては消えて行き、全ての人々の記憶から忘れられる言葉も有ると思うと、この先、言葉の博物館みたいなところが出来てその展示品のひとつ「失われた漢字達」とかの前で「昔はこんな漢字が使われていたのだった・・風の中のぎーーんがーーー」とか言葉博物館員が説明する日がくるのかもしれないのかも。

おまけ
蓋然性の蓋の字は草かんむりに去る皿です。(フォントがごちゃごちゃでよくわらりづらい)


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