ミュシャ展@新国立美術館行って魂が震えた!

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ツイッターをぼーっと眺めていたら、ミュシャが六本木にくる!ってなのが流れてきました。しかも今回スラブ叙事詩が展示されるってなことで、こりゃ姉さん事件ですよ!

自分がミュシャ(チェコでは「ムハ」が正しいらしいけどフランス語のミュシャでいく)とのファーストインプレッションは忘れもしない中学生の頃。当時ジャンプの別冊としてスーパージャンプが発売され、そのなかに「ゼロ」という漫画がありました。

ゼロは神の手と呼ばれ、贋作でありながら本物と見分けがつかないものを作成する人物として描かれてます。その中でミュシャのメディアで使用されたブレスレットが題材として登場していました。

今でこそミュシャはメジャーな画家ですが、当時はそこまでは世間に認知されていなかったと思います。日本で認知されているミュシャの画風はポップでありながらどこか懐かしさを感じるいわゆるアールヌーボー様式で描かれ、ミュシャの代名詞とも言える、サラベルナール主演のジスモンダのポスターから始まり、パリ博覧会のポスターやタバコや自転車のポスターまで、日本で言うと横尾忠則さんっぽい立ち位置?とにかく当時パリではポスターは貼ったそばから盗まれるぐらい人気だったそうです。

ちなみに家にあるミュシャは20年ぐらい前に秋葉原の駅前のあやしい画廊で当時付き合っていた彼女を2時間待たせた挙句、50万のローンを組まされて購入したこれです(今では気に入ってるので問題ないですが、このうさんくさい画廊のものはヤフオクで5万ぐらいで買えるよ!)


そんなミュシャが祖国チェコを想い、描いたのがスラブ叙事詩です。こちらは20点ほどあり、どれも大きく最大で6x8mほどもあります。そんなスラブ叙事詩ですが、つい最近までチェコの古城でひっそりと展示されていたのですが、2012年にプラハの国立美術館で展示され、さらに国外でスラブ叙事詩が展示されるのが日本が初!そりゃ見るでしょ!ってことで六本木にある新国立美術館へ。

余談ですが、大江戸線の六本木駅から新国立美術館の道中にある「ベルオーブ」はベルギービールと料理がめちゃうまくておすすめです。

新国立美術館に到着すると、ミュシャ展のとなりでは草間 彌生展もやっていて、こっちもみたい!とも思いましたが、ぐっとこらえてミュシャ展へ。

チケットを係員に渡し、説明用のイヤフォンを購入し展示室に入ったとたん・・・


いきなり目の前に拡がったスラブ叙事詩の圧倒的な存在感に歩みを止め、ただその場に立ち尽くすしかありませんでした。


この圧倒される感覚はMoMA展で見たピカソのゲルニカ以来。ただ、ミュシャのそれはゲルニカとは違い、非常に優しい感じも併せ持ってて、この感覚はオランジェリーで見たモネの睡蓮を見た感覚に近いです。このゲルニカの圧倒力と睡蓮の包容力が同時に眼前に広がるこの場所は至福のひと時。自分がビルゲイツになったら、この部屋を寝室にしたいと思わせる場所でした(例えが相変わらずよく分からん)

スラブ叙事詩は作品が一つ一つが大きくさらに題材としてスラブ民族の血なまぐさい歴史とスラブの伝承や神話のお話がベースとなっており、ミュシャのタッチと相まって残酷なことを書いていながらどこか、ファンタジーな感じがしてぐいぐい絵に引き込まれます。

また一つ一つの絵が大きく人物がほぼ等身大で描かれており、さらに、絵の中で誰かしらはこちらを見ている人がいます。その中で戦争で赤ちゃんを失った母親らしき人が死んだ赤子を抱いてこちらを睨み付けている絵があるのですが、その母親をみていると、文字通り目が離せなくなり、しばし立ち尽くしていました。

しかも今回の展覧会はなんと、一部写真撮影が許可されていています(ふとっぱら!)いやーしかしこの場所から離れたくない!じっくり見るでなく、展示室の椅子に座りなんとなく視界に入れているだけで幸せな気分になります。まさしくオランジェリーで睡蓮の間でずっと座っていた感覚のそれと一緒。幸せな時間でしたが、後ろ髪を引かれつつ展示室を後にしました。

みなさんも是非見て頂き、ポップなミュシャとはまた違った荘厳なミュシャを体験してみてください。


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