佐久間正英さんとBOOWYと自分との関わりについて

読了時間:約 2分

佐久間正英さんが逝ってしまった。

初めにお断りしますが、これはごく個人的な事を酒を飲みながら書いているのでその点ご了承を。

先ほどツイッターを何気に見ていたら佐久間正英さんの息子さんが書いたツイートが流れてきた。もちろん予感はあった。最近 Facebook の更新が全然なかったし、年末の NHK の特番でのやつれようを見て。

自分が佐久間さんの携わってきた音楽の中で最初の出会いはやっぱり BOOWY

あれは中学1年の頃、どんな話かは覚えてないけど多分体育祭の音楽は何にするみたいな話をしてて、誰かが「ONLY YOU」でしょ!みたいな発言をして、それに対し自分はプラターズの方を歌って見せたら、そいつから、それじゃねえよ!BOOWY だよ!みたいな事を言われたのが最初だと思う。

そのとき仲の良かった島村(同じクラスの女の子)から兄貴のからダビングしたから貸してあげるよってカセットテープを借りて(時代やなー)家に帰ってカセットデッキに入れて流れてきたのが

「SUPER-CALIFRAGILISTIC-EXPIARI-DOCIOUS」だった。

多分 A面で島村が聞き終わっていたからこの曲からだったんだと思う。初めて聞いたときは良く分からなかったってのが正直な感想だったと思う。
当時は歌謡曲しか知らない世界でいきなりあのレゲエ調のイントロとスカのAメロは良さが良く分からなかった。

けど間違いなく自分がロックという音楽に実生活で聞いた初めての音楽だった。もちろんテレビやラジオから流れてくる音楽はあったけど、自分から意識して聞いたロックは初めてだった。初めて自分のお金で買ったテープも「PSYCHOPATH」だったし(中森明菜かもしれない)

そっからの中学は BOOWY ばっかりだった。全部のアルバムを島村から借りて聞きまくった。とにかく聞きまくった。

そして 渋公での解散宣言からのドームでの LASTGIGS

当時ちょっとトッポイ(時代やなー)友達がチケットとって行ってるの聞いてうらやましかった記憶がある。

その後は UNICORN にいって REBECCA だったりバービーだったり洋楽だったりと色んな音楽に出会って行くわけだけど、

間違いなく今の「NO MUSIC NO LIFE」の自分を作り上げた音楽は BOOWY だった。

なんかもっと色々書きたいことあると思うけど、つまりは

佐久間正英さん、会ったことも無いけど、自分の音楽の道筋を示してくれてありがとうございました。ってことだけ。

安らかに逝って下さい。


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